機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

子に巡る母の欲を戒める、お盆の由来

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お盆は「すべての命に感謝する行事である」という話。
お盆というかもはや彼岸の方が近い気もしますけど、お盆の前から描こうと思っていた話が今頃になったのは、次女の入院があります。1ヶ月ほど入退院を繰り返し、何もなくとも2,3年は朝晩に薬を飲む生活になりました。が、次女は元気です。7ヶ月で毎日離乳食をべーべーしています。めげるわぁ。

このお盆の話を知ったのは入院する前ですが、入院中付き添いのベッドの上で、黙々と描いていたのを、退院後の検査でひとまず問題なしとの結果が出たところで、一区切りとして載せたいと思います。

すべての命に感謝する

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遠くまでを見通す目を持った目蓮尊者が「母はとても優しかったので天国でも幸せに暮らしているだろう」とその目で母を探したら、地獄で餓鬼となって食べ物を求めて苦しんでいました。口元に食べ物を持っていっても燃えてしまい、困った目蓮はブッタに泣きつきます。するとブッタは「お前の母はお前のために犠牲にした命への感謝を忘れたから餓鬼となった。“自分の母だけ”助けたいと思うお前もまた、誰をも救えない」と告げます。それから目蓮はただただ祈りました。“自分の母だけ”を救いたいという気持ちを捨て、すべての命のつながりに感謝し、祈りました。その祈りが届く頃、あまりの感動に踊りだしたのが後の「盆踊り」です。

宣協社刊 日本仏教保育協会編集 ほとけの子 2017年7月号 冨岡量秀「心の華 お盆 いのちのつながりを知る」より、お盆の言われについて一部要約引用。いずれも諸説あり。

母の欲は巡り巡って子を苦しめる

これを読んだ時、私は「ブッタ厳しすぎる」と打ちひしがれました。
「我が子のため!」と身を粉にするのが母親だと思われがちで、まぁその呪いはもうどうでもいいんですけど、それでも思っちゃう「我が子のため!」を戒めてるんですよね。

次女の病気は程度によっては命も、場合によっては今後の未来にも関わってくるもので、ただ病名が確定するまでとても長く不安な入退院が続きました。
育休中(で転職活動中)の私が24時間付き添いするんですけど、病院という場は本当に謎が多く、こちらとあちらの「常識」があまりに違いすぎて相当なストレスが溜まりました。
治療に集中してくださいね、と言いながら後ろから撃ってくるイメージです。たしかにその弾で治ってはいるんだけど、なぜ後ろから撃ってくるの? こちらは巻き添えにしなくてもよくない? てか撃つなら撃つと、終わったならなにが起こったか説明してくれ、というあくまでイメージ。
病院に変なクレームつけてくるモンスターがいる、それで病院側が疲弊しているという情報は知っていて、良い患者であろうとしたけど、そうしてたらあっちのペースで話がよくわからないままどんどん進んでしまうので、何度も説明を求めたり、でもどう頑張っても解決されずに無力さを感じたり、それに対して声を荒らげてしまったり、自分がクレーマーになるとは思ってもいませんでした。

その時思い出したのがこのお盆の話です。入院がお盆をまたいだりもしたので、より身近に感じました。
お盆って先祖に感謝するものだと思ってたんですけど、自分に繋がってきた、そして子どもへとつながっていくすべての命に感謝する行事なんですね。
今回の入院も、自分のことならこんなに怒ったり疲弊したりしなかったんでしょう。子どものことだから、「守るため」と攻撃してしまう。
でもそれがきっとどこかで巡り巡って、子どもを苦しめてしまう。
もちろん医療スタッフは失礼な態度を取ってしまった私の子にも最善を尽くしてくれました。それが当たり前のことだとしても、本当に、頭が下がるばかりです。

まとめに代えて〜すべてにありがとう

次女は今のところ気になる所見はありません。
つないできた命、つないでいく命、そのための命。
すべてに感謝したい、そのためにお盆だけでなく、あらゆるときに「ありがとう」を思い出す自分でいたいです。

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