機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

「好きだから仕事ができる」を「働く軸」にはできなかった話【前編】

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「働く軸」ってなんですか。
働く上で信条にしていること
働く場所を選ぶ時に基準にしていること
働くことに行き詰まった時現状をどう変えていくか…
さまざまな場面で「働く」に対してジャッジを迫られることがあるのですが、そういった時に取捨選択をして、おそらく最後に残るのが「働く軸」なのではと現時点では考えているのですが、私は以前までそれが「好き」で、今は「無理なく生活ができる」になっています。
「働く軸」について、前後編で書いていきます。

「好き」を軸にして働けるのはほんのわずかな時間だった

新卒から9年ほど、グラフィックとWEBデザイナーをやってきました。実際はディレクションもやってたんですけど、見積もりができないのと結局デザインは自分でやってたので、微妙なところです。見積もり権はないけどデザインとスケジュールの裁量はあるプレイングディレクターみたいな。

デザイナーになったのは、「惜しい! 人たちに光を当てたかった」のと「情報を整理してグラフィック的に分かりやすく多くの人に提示したかったから」です。
ですがその根底にあるのは、国や学校や企業や、いろんな大人が言い続けている「好きを仕事にしよう」でした。
私は大人の言うことを良く聞く優等生だったものですから、「好きなことを考えて、そこから職業を選択しよう」という今の教育現場でよく行われる進路指導にぽかーんと乗っかっちゃったんですね。
中途半端に頭がよかったので、それは賢い選択だと思い込んでいました。そして中途半端に力があったものだから、デザイナーになれちゃった。

その後超零細デザイン事務所に就職して、デザイナーとしてキャリアを積み、7年目に出産・育休。超病みました。子ども意味不明すぎ。寝不足の中、1を入れたらカブトムシとか超ひも理論が返ってくる生活が好きになれませんでした。
どうやら子育てには向いていないぞ、やはり好きを軸に仕事を続けようと、這うように仕事を再開しました。
再開した仕事はやはり楽しく、子どもも健康だし、風邪をひいた時は仕事を持って帰ることで進行をコントロールできるので、やはりこのままここで2人目を生んで好きな仕事を自分のペースで続けられたら、と考えていました。
しかし「好きを仕事に」はほんの希少な条件が揃った間でしか叶わないことでした。

「好き」は「生活」に勝てない

2人目を妊娠してしばらく、会社とごにょごにょしました。
詳しくは書けないのですが、ひとまず仕事がしにくく、居心地が悪く、働く気が失せ、頑張る気が著しく削がれ、それでも仕事を続けなければならない、会社を継続させなきゃいけないけどその資源に手をつけられず、しかも出産が近づいている。

最終的には出産の2日前の夜12時までになんとか引き継ぎました。そしたらその翌日、「これはどういうことだ、入院したら(計画出産だった)連絡を取ってもいいか」と電話がきたのです。さらに、分娩室にまでメールしてきて。
さすがに無理だと泣きました。
無理だって、もっと早く言えばよかったんです。「自分ができないと言ったところで世界は何も変わらない」と言いますけど、でもあの時私が無理だって全部放棄していたら、本当に会社は潰れていました。だけど、それでも無理だと言って潰してしまえばよかったんです。
自分の生活より大切な物なんてないから。
育休手当もなくなる。0歳児はほぼ預けられない区だから、苦労して保育園に入れた1人目も「会社を辞めた」ということで退園になってしまう。保育園もキャリアも崩れて再就職は絶望的。
そんないろいろを危惧して、無理して仕事を続けて、結果として出産に最悪なしわ寄せがきてしまった。
申し訳ないけれど、私はあまり2人目の出産に集中することはできませんでした。

それでもなんと、私は出産2ヶ月後に仕事を再開しました(育休中制限付きで働くことは法律上可能です)。
生活しなきゃいけないかったんです。どうにか会社を延命して、2人目を保育園に入れてしばらくしたら転職する計画でした。そのためにも会社を潰すわけにはいかなかった。
かといって出産前の環境が変わっているわけではなく、働きづらいし、やっぱり3歳児がいる中0歳児を見て仕事も…というのはけっこう大変。
3歳児の行事予定と、0歳児の予防接種や検診、そして仕事が詰まったスケジュール帳を見ながら、おかしい、働いている時より辛いかもしれない、と思い始めていました。

そこで起きたのが次女の入院です。約1ヶ月半で5回の入退院を繰り返し、まだ落ち着いたとは言えない中、2度目の入院の最中、私は退職の意志を伝えました。
なぜなら1度目に退院したあと、「子どもが退院したばかり」と言ったにも関わらず、仕事を依頼されたから。

もう、ほとほと、疲れ切りました。
仕事は「好き」でした。だから、不本意ではあります。
でも「好き」を軸に仕事を続けていくのは不可能でした。好きだからって、なんでもできるわけじゃない。
私は「生活」しているから。
生活があって、その上で働いているから、それを無視して働くことはできなかった。
「好きだから仕事ができる」のは、仕事に集中できる環境があってこそ。今の私にはそれがない。

これからの私の「働く軸」〜後編へ向けて

「好き」で支えていた働く心は崩壊しました。
好きだったデザインの仕事も、廃業がうすぼんやり視野に入っています。フリーという働き方は、逆に本当に好きで生活のすべてを賭けてやるものと考えているので、選択肢には入っていません。
(前)職場と退職時期や引き継ぎなどを協議しながら、「無理なく生活ができる」を「働く軸」に仕事を探しています。

私は覚悟が足りないのでしょうか。
無理な生活を送ってもするのが仕事なのか。
仕事のために犠牲にするものがあるから生活が守れるのか。
後編では、私の母と夫の「働く軸」を紹介しつつ、これからの私の「働く軸」を探っていこうと思います。

追記

ちょうど目にしたこの記事が印象に残りました。続編を楽しみにしています。

wotopi.jp

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