機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

「好きだから仕事ができる」を「働く軸」にはできなかった話【後編】

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「働く軸」を前後編で考えています。
前編では「好き」を軸に働けるのは非常に限られた条件下であること、「生活」の前に「好き」が折れた瞬間、これからの私の「働く軸」が「無理なく生活ができる」になったエピソードを書きました。

fumisiobox.hatenablog.jp後編では、私の身近な人である母と夫の働きを紹介しつつ、これからの私の「働く軸」を探っていきます。

「どっか行っちゃった」母の人生は続く

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AIに人の仕事が奪われる」は、最近はやりの論調です。
それが本当だとしたら、私はその最先端にデザイナーが立っているなぁとヒシヒシと感じています。というか、AI以前にデザイナーの仕事ってこの先なくなるんじゃないかなー、と考えを巡らすことが多々あります。
だれでも簡単にデザインできちゃうツールがたくさん出てきたり、全体にセンスやデザインに対するリテラシーが上がってきていると感じるし、さらにAIが自動でデザインしちゃったりしたら…

AIの登場と似た現象で、過去、パソコンの登場がありました。
このおかげで多くの仕事が消え、多くの仕事が生まれました
デザイン界隈でよく言われるのは「写植屋さん」です。
パソコンが無かった時代、指定された文字を特別な機械で写真のようにプリントする写植屋さんがたくさんありました。
デザイナーは写植屋さんに原稿を渡して、文字をプリントしてくれるのを待って、それを持って組版屋さん(印刷用の版を作ってくれる人)に駆け込んだりしていました。
やがてパソコンが普及し、写植を使った組版からIllustratorPhotoshopを使ったDTPへとデザイン・印刷データの作成方法は変わってきました。
前職場の人たちはその時代を経験しているので「あの人たちどっか行っちゃったねー」という話になるのですが、ハッと気付いたのです。
そういえば母、写植屋さんだったわ。
いつだか、暗い部屋で写植の機械を覗き込んで、反対になった文字を拾っていた話をしていました。
目の前に、「どっか行っちゃった」人が、いました

母は高校卒業後上京して、某メーカーの事務として働いていました。そこで父と出会い結婚。いろいろあって写植屋さんになって廃れたあとワープロの技術を取得して、まだ手書きが主流だった作家原稿をデータに起こす仕事をしていました。
私が保育園から学童にかけては近くの出版社に出社していましたが、学童がなくなる4年生くらいからは在宅での勤務に変わっていました。
中学生くらいになると工場に勤務したけど、流れ作業が性に合わなかったらしくあまり長くは勤めず、パソコンが本格的に普及し始めてから職業訓練の給付金か何かを使ってパソコン教室に通いwordとexcelの資格(たぶんMOSのなんか)を取り、どこかの証券会社の事務に出ていました。
祖母が要介護になってからは仕事を辞めざるを得なかったのですが、本人としてはちょっと心残りだったようです。

これが、「どっか行っちゃった」人の人生です。
いや、母は今悠々と老後ライフを過ごしているんですけども。

「できることで、ニーズが高く、持続性があり、コスパよい」夫の人生

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次に、夫の働く話。
夫は子どものころから数字が好きで、幼稚園の頃は延々と頭の中で数字を足していたそうです。そしてそのまま理系へ。
みんなが進路を決める高校3年生のころ、私が罠にはまった「好きを仕事にしよう」にピンとこないまま受験を迎え、浪人。
大学は行くけど奨学金だと決まっていたので、浪人中に「できることで、ニーズが高く、持続性があり、コスパよい」大学・学部と考え、有名理系大学夜間部の電気系に進学、そして某大手企業のエンジニアとして就職。
最初は興味のない部署でびっくりするほど給料も安かったけど、何かを見抜いた上司に引っ張られ違う部署に行ったら性に合っていて、給与も(残業のおかげで!)アップしつつ、子どもの保育園送迎時間に合わせて勤務時間を変えたり、休暇も比較的融通が利くようになったり…。

これが、現在のところの夫の人生です。
大手企業のおかげで受ける恩恵も多いけど、政府の「働き方改革」に巻き込まれて夜残業できないから早朝出勤で逆に疲れたりで、はてさてこの先どうなるかはわかりませんが、今のところは満足感も高い様子です。何より安定感すごい。

 「好き」が「働く軸」でなかった2人の共通点

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私は、ここで紹介した母と夫の職業人生には共通点が多いし、ここから学ぶことがたくさんあるのではないかなと考えています。

持っている技術をお金に変えていく

母は、好きで写植屋さんになったわけじゃないんです。ここもまぁいろいろあって書けないんですけど、ひとまず技術を取得しました。
そしてそれを次は時代に合わせてワープロ、パソコンへと発展させていきました。
やってきたこと×時代のニーズでお金を生んできたんです。

夫も、数字が得意で理系だっていう技術を生かせる学びを見つけて(いや、大学の看板が欲しかっただけのようですが)、この先も安定してお金を得られる会社を選びました。

「好き」を原動力にして技術を磨くのもひとつでしょう。
でも、好きかどうかは別として、もともと持ってる技術、働くうちに見つけた技術を働きながらコロコロ転がして、大きくしていくのもひとつありなのではと思います。

国や学校や一部の起業家が言う「好きなことを仕事に!(そうすればいくらでも働ける)」はある側面ではそうかもしれないけれど、そうじゃないけど働いている人の方が案外多いのでは、なんて考えていたら、ヨッピーさんがインタビューで「フワフワ層」と表現していましたね。

www.buzzfeed.comこれもある側面ではそうかもしれないけど、別の面ではそうじゃないかもしれないなーとは感じるけど、私も月3万くらいお小遣い増やしたいのでブログ書いてます。ひとまずPro版の代金払えるくらいのPV欲しい。

居場所は変わって当然

人生「まさか!」の連続です。大人になって、こんなに「まさか!」が続くとは想定外でした。前職場だって、数日前までは10年くらい働こう〜なんて思ってたんですから。
時代の流れ、人、技術、やむにやまれぬ事情…
そこで変わらないのは、ひょっとしたら逆に不自然なのかもしれません。
母も私が小さなころは、私が家に着く前に家にいるよう、職場や雇用体系を変えてきたようです。そのことに気づいたのはつい最近だったりするんですけど。
母の世代はそうせざるを得ない部分も多分にあったんだとは察しますが。
もっと柔軟に、変わることをそんなに恐れなくてもいいのかもしれません。

向き不向きはある

でもやはり向き不向きはあります。
母も流れ作業は無理だったようです(私もたぶん無理)。
夫も数年で違う部署を転々とする可能性が高いので、向かない部署に行くこともあるでしょう。
その時そこで技術を磨くか、職場を自分に寄せてくるか、サッサと職場を変わってしまうか…

やはり「生活」が働く軸

やはり母も夫も、「働く軸」には「生活」があるようです。
生活がある、そのために仕事をする。
シンプルに、毎朝仕事にでかける。

ただね、生活のために仕事してるから、いくらか生活を犠牲にして仕事しなきゃいけない時もあるわけです。
でも犠牲にしっぱなしじゃ自分にメリットがない上に、大切なもの(家族・友人・健康…)を失ってしまう可能性まであります。
そこはバランスなんだけど、自分がバランスを欠いているかを見失うほど働いてしまう時もあるわけで、それに気づけるのが仕事の外にいる、家族や友人なんではないかな、そのために生活するのではないかな、と、ぐるぐるとループが始まってしまいました。

まとめ

やはり0歳と3歳の娘がいる現段階では、「無理のない生活」が「働く軸」の最優先でしょうか。
でも身近な働く2人の共通点を探ることで

  • 技術は重要
  • 居場所は柔軟に
  • 好きとは別に、向き不向きがある

という視点も得られました。

引き続き、「働く軸」や「働くこと」「転職」「キャリア」「ワークライフバランス」「共働き」なんてことを考えていきます。
でも人生それだけじゃなく、もちろん育てて食べて磨いて楽しんで。同じように生活する人たちにエールも送っていきます

次回は9/25(月)に更新予定です。

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