機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

キラキラもイライラも、隣の芝生

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お母さんたちのTwitterアカウントが燃えている…よく燃えているわ…あれは…のぶみ…火の七日間の始まりね…。

Twitter界がざわざわしているのを遠目に眺めるようになって半年以上が過ぎました。
みんなキラキラしてて辛いーー「SNS疲れ」が唱えられて久しいものですが、Twitterやはてぶやまとめサイトから意識的に離れてみると、キラキラよりもイライラの方が大きいんじゃないかなーと低みから見物してしまうわけです。

以前の私のTwitterにはフォローが80人フォロワーが500人ほどいまして。そんなに大きな数字ではないのですが、凡人が書き込みの手を滑らせるには十分な数字ではないかと思います。

もともとキラキラは苦手だったので、同じように子育てちょっと辛い系で文章がしっかりしてる(むやみに小文字絵文字使わない)人を選んでフォローしたり、知ってるイラストレーターや、芸能人ではないけど有名どころな人をフォローしたりしていました。最初は「うん、わかる、つらい、つらいよねー」「あー、そんな社会的視点もあるのね、ふんふん」と(主に負の)共感や新しい(批判的な)視点を獲得できていたのですが、これが続くとなんかだんだん辛くなってきてね。

私は感情移入しやすいというか、人の考えに流されやすいというか、浅はかというか、そんなものでして、「ワンオペ辛い。旦那マジ使えなさすぎ」とか「アベガー」とか流れてくると、まるで自分のことのように受け止めちゃう。そしてそれが解決できないかと考えてしまう。「関心を持たないことは罪!」みたいな風潮もあり、ずっと問題が山積みで、この世がすごく上手くいってなくて、みんな生きづらくて、怒りに満ち満ちている気がして、Twitterを開くと気分がどんよりしてくるようになりました。

まとめサイトは最終的に家庭版や鬼女版のまとめに流れついたんですけど、不倫だご近所トラブルだをスカッと解決するのに没入すれど、これも結局まずは怒りやイライラ不遇を自分に取り込んでることに気づきました。そして(おそらく創作上で)解決されることにスッとするからやめられなくなっちゃう。

一方はてぶを見ますと皆さん成功されてらっしゃって。一応WEB業界の端っこにいるもので、インターネッツの大きな流れをざっと把握するのにはてぶを使っていたんですけど、「何者かにならなきゃこの先、生きてけないよ」にやられ、「何者にならなくてもいいんだよ(っていう文章でPV稼いで広告収入得られるくらいにはならないとだめだぜ)」合戦に、なんかもう、ええわ、と。

たまにはこんないいことあったよ! いい旦那だ! と流れてくることもあるけど、「みんなー! 次はこの問題だー!! ほらっ、みんなで考えて解決するんだ! 我々は当事者だ。関心を持たないことは罪! 我々はないがしろにされている!我々は弱者だ! 我々を手厚くイイコイイコしろ!!」

みんながみんな、上手くはいかねぇよ。

以来、Twitterは凍結。でもちょっとつぶやく場は欲しかったので、現時点でフォロワーが1/100になった別アカウントで、毒にも薬にもならないこととブログ更新をつぶやいています。なるべくゴミ箱にしないようにはしてる。

なぜ人は他人のイライラを自ら口にしに行ってしまうのでしょうか。
やっぱりこれも、「自分の機嫌をとるため」なのかと思います。自分の中に問題があるけど、そこから目を逸らしたい or 問題が大きすぎてパンクしそうな時、他にイライラを見つけてあーだこーだ攻め入ることで、自分の問題は解決しないけど、擬似的なすっきり感は得られる。
本当に辛い時はそれに頼ってもいいけど、ある時気づいて止めないと、単なる文句言いおじさん・おばさんになっちゃうな、という自戒で、私はTwitter・はてぶ・まとめサイトから距離を置きました。何事も用法用量を守って、ですね。

キラキラでもイライラでもなく、チョコでもなく、自分の機嫌のとりかたを、今日も模索しています。

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