機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。3歳と1歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

3歳の娘が「ママ死んじゃえばいいのにね」と言ったので母に謝ろうと思った話

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「ママ死んじゃえばいいのにね」
気に入らないことをされた報復でもなく、ただただ愉快に夫に向かってそう話しているところに出くわしました(その後もちろん指導が入ります)。

長女を産んでから3年半弱。
お母さん入社3年目「お、こりゃステージが変わったな」と感じる日々ですが、同時にこの世に生まれて33年、母に謝ろうと心底身にしみた話。

お母さん入社3年目の課題は情緒面のサポート

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産まれてから2歳くらいまでは、食べて動かして寝かしてうんこ拭いての「生かす」が中心で、だいたいそれをしているうちに1日が終わっていきました。

それが、3歳になって身の回りのことが微力ながら自分でできるようになり、さらに言葉が出てきたら、感情も複雑になってきました。
こちらもうっかり大人と同じ扱いをしてしまい、大人の世界に巻き込んでしまうことも。
そうすると、衝突することが増えてきました。
なんとも言えない感情の時、気に入らない時、「大人の世界」が通じない時…
威嚇や暴力奇声も見受けられるようになり、これはもはや「生かす」ではなく、もちろん大人の事情を押し付けないようにしながら、「感情のコントロールを助ける」が課題になってくるのかな、と考えています。
世の中いいことばっかりじゃないし、その都度振り回されるのは疲れますしね。

大人自身、というか私自身にもあることなのですが、何かがきっかけでむしょうに腹がたったり悲しくなってしまい、どうしたらいいのかわからなくなってしまうことがあります。
なので、自分で自分をコントロールする、というのが難しいことは私自身ひしひしと感じるところです。
ひとまず私の体験から、わけがわからなくなったときの原因や対処方法を多くストックすることから始めています。
だいたい原因は「疲れた」「眠い」、対処方法は「一呼吸置く」「状況から一旦離れる」といった、人から見れば当たり前というか子どもじみたことなんですけど、子どもじみているだけに、何かひとつでも長女の助けになることがあるといいな、とあれこれ試しているところです。

「ママ死んじゃえばいいのにね」の真意

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さて、冒頭「死んじゃえ」の真意ですが、おそらくありません。
そして、長女に特別問題があるわけではなく、子どもは誰でも通る道だと考えています。
異論反論、読む人の体験からくる恨みつらみあると思いますが、ひとまずそこは置いていただいて。

私はあまり子どもと接するのが得意ではありません。
遊びの中に入っていけない、物の見方を合わせたり、思考を寄せたりがまだまだ苦手です。
注意も上手くないので、うまいこと導けず、言い合いになってしまうことも。
夫はむしろ子どもが得意で、あまり接する時間がないのに長女は夫が大好き。
次女のことは、こちらが引くくらいものすごくかわいがっています。
なので普段から「パパと次女ちゃんが好き」等言うことはよくありました。最初のうちはヘコんでいたのですが、ある時から「流行りのようなもので、ただ言いたいだけなのだ」と思うようになりました。

「パパと次女ちゃんがいいなー、ママ死んじゃえばいいのにねー」
保育園に行く朝、もっとテレビ見たいと騒ぎながらの準備中のひとことでした。
軽い口調で夫に言った瞬間を、荷物を届けにきた私に見られて「まずい」という顔をし、泣き出しました。
ひとまず私はその場を後にし、夫だけで指導しましたが、まずいことをしたとわかっているが故に、変な言い訳や会話を反らすようなことをします。以前ならすぐにごめんなさいだったけど、知恵付いてより工程が複雑になっているなぁと、会話に耳を傾けました。
その後夫に促された長女がこちらに来て、「ママ好き」と泣いて抱きつこうとしてきます。
許してもらおうと意を決して来たのはわかりましたが、変な気の引き方(本質を置いて「好き」とかハグでごまかしてしまう)で許してもらう癖はよくないなと、一旦線を引きます。
が同時に、わけがわからなくなっている状態でもありました。
なので夫も指導した「死ね、は言ってはいけない」「言ったのは謝るべき」「変わらず好きである」と伝えて、ハグのあと保育園へ向かいました。

「死んじゃえばいい」は「くさーい」「きらーい」の延長線でしょう。
延長線上に「死んじゃえ」が乗ってきたのは、傷付いたというより、「もうここまできていたか」という驚きが大きいです。
ますます感情コントロールのサポートが必要で、私自身も巻き込まれて振り回されてはいけない、本質や真意を見失わないことが大切で、それが難しい

子育ては「これだけのことをされて育てられた」ことに気付く旅

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そんなことがあった朝、保育園へ送った帰りに考えながら気付いたのは「私も母に言ったな…」でした。
具体的には思い出せないけれど、絶対に言っています。
私が長女に言われた時、深く傷ついて悲しいわけではないけれど、ショックは大きかったです。
母がどう捉えているかわからないけれど、これは謝らなければなりません。

子育ては「これだけしたのに子どもはこうならない、思い通りにいかない」と不遇感を抱えていると本当に割に合わないし、気分が削がれていき、ひどく病むこともあります。
かつて私は「こんなにやったのに上手くいかない!」に支配されていました。
それはそれはブルーでマイナスな毎日でした。
しかしそうやって過ごすうちこちらも病んでばかりはいられないので、
「私はやっている、子どもは生きている、それでいい」
と感情面をなるべくオフにして(あと自分は良くやってることを客観的に確かめた上で自分を褒めて)、たどり着きたいところに行くことを考えようにしています。
そうすると、子育ては「これだけのことをした」ではなく、「これだけのことをされて育てられたことに気づかされる行為」だなとひしひしと感じるようになりました。
還ってこなくていいんです。
もらったものを子どもに贈りながらも、育ててくれた母に、まずはごめんねとありがとうから。

まとめ

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子どもが誰でも通るとはいえ、言ってはいけない言葉を根気強く指導していく必要はあります。
気にしないといいつつ衝撃はありますし、やがて友だちや周りの人に広がっていくと大きなトラブルになりますからね。

いわゆる母親業が上手くない私ですが、長女とは仲が良い時ももちろんあるし、大好きだし、家族だし、できる限りのサポートをしていきます。
そして、できる限りのサポートをしてくれた母にも感謝を伝えたいです。

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