生きてるだけで、金メダル
人は生まれた時に金メダルを授かり、それを胸に走る中で、周りばかり気になって自分のメダルを見失ったり、涙を流して下を向いた時にメダルの存在を思い出したりするのかもしれません。
どんな思いをメダルに刻んで、人生を駆け抜け、それを胸に死んでいくのか。
そんなことに思いを馳せる日々でした。
生と死の淵を見た2017年
先日祖母が亡くなりました。
数年前に大病で半身麻痺となり、病院や施設を転々として数年、ちょっと前からご飯を口にしなくなり、そろそろかな…といったところだったし、87歳だったのでなんだかんだで大往生だと思うので突然のことでショック、とまではいかないまでも、やはり身内の死は大きな衝撃でした。
今年は本当に、生と死をよく見た年でした。
知人が精神的な病でギリギリまで行って入院してしまったり、また違う知人は両親を立て続けに亡くしたり、会社という自分の大きな部分を占める世界を恨みながら出産したり(そして転職を決意したり)。
その子が重病になり、一歩間違えば死んだり植物状態・全身麻痺になってしまう危険性があったり、後遺症があって、それがのちのち障害になるかもしれなかったり。
「後厄」という言葉では片付けられないくらい、さまざまな出来事があった33歳でした。
できれば人生の最後で「33歳がいちばん大変だった」と言えるようであってほしいと願います。(きっと神様は許してくれないだろうけど)
暗闇の向こうに見えた輝き
生の側に行ったり、死の側に行ったり、間をぶんぶんと行き交うのは結構辛く、参ってしまうこともしばしばです。
発作がおさまった、もうこれで終わりだ、終わりのはずだ、と思った数日後にまた救急車で運ばれたり、夜中に少し声を上げただけで「ひょっとして発作?」と飛び起きたり、なにより自分の子どもが普通の子どもよりも死に近いところにいるというのは、心が削られていくものです。
でもどこかで発作はおさまっていき、普通の子と変わりないラインに立てるのではないかとうっすら期待していたところで、難治の診断を受け、今まで通っていた病院からいわゆる「もっと大きな病院」へ転院になりました。
次女がどういった状態になろうと、彼女が持てる最大の力を発揮できるよう全身全霊で支えていくのは変わりないことですが、「なかなか治らない」「発達が遅れている」「障害が出るかもしれない」「ここでは見られない程度の難病」…その言葉には動揺を隠せませんでした。
「ここに行っても治るのだろうか」「医者と信頼関係を築くのも一苦労だし」「ここで無理だって言われたら、じゃあ、治らないってこと?」…そんな重々しい思いで大きな病院へ向かう途中の公園で、おじいちゃんとおばあちゃんがきゃっきゃとボッチャに興じていました。
その姿を見て、なんて力に溢れているんだろうと、ただ呆然としました。
シニアンピックがあったら、みんな金メダルをもらえるくらいのパワーを感じました。
ボールを当てたあなたも、外してしまったあなたも、いいアシストをしたあなたも、審判をしてるあなたも、みんなみんな、金メダルをかけて、いっしょに表彰台。
だって、生きてるだけで金メダルなのだから。
生きてるだけで、金メダル。
何があったって、どうなったって、ここにいるだけで、もうそれでいい。
そんな思いで、私は大きな病院へと向かいました。(そしてこのあと医者と喧嘩をします)
胸の金メダルは、なかなか自分に見えないから
祖母が父にかけ、父が私にかけた金メダル。私はそれを娘たちにかけました。
生きているだけで、あなたの胸はキラキラとしているのよ。周りばかり気になって、うっかり自分の胸にあることを忘れてしまうこともあるかもしれない。でも、もうだめだ、と膝をついた時に目に入ることがあるかもしれない。
自分からは見えにくいから、私は娘たちに、あなたの金メダルがとても美しいこと、強いこと、時にもろくても乗り越える力があること、あなたのオリジナルであること、オリジナルであることが素晴らしいことを伝え続けよう。
あとなにより、自分にも金メダルがあること、忘れないようにしよう。
まとめ
ちょっと感傷的になったけど、やることは山積みで、県を超えたセカンドオピニオン受診や、療育や、あとうっかり忘れがちな自分の転職や、さらに忘れそうな最後の仕事と引き継ぎと。
気づいたら煩悩の鐘が鳴り終わっていそうな気がします。