機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

仕事と家事の両立なんて、ほんとにしたいの?

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仕事と家事の両立。したくない。なにせぐうたらなので。
洗濯乾燥機は洗濯物を畳んでクローゼットに入れるところまでやるべきだし、炊飯器は自分で米を計量して水を入れて炊き上がったらタッパに分けて冷凍庫に入れるまでするべきだと思うけど、残念ながらテクノロジーがそこまで追いついてないからやってあげてるだけです。頼むよ、パナソニック
と同時に仕事も「あー、もう今日は帰るので明日で、うん、明日」とクライアントに言っちゃいます。だって保育園のお迎えばっかりは遅れられませんから。もちろん事前にクライアントにはデッドを伝えてあるから、それを犯してくるのはそちらの責任ですよ、と伝えるのが筋です。まぁ持ち帰ってやっちゃうこともあるけどね。

「仕事と家事の両立」なんて言葉を超えて、責任を持つことで楽しく自由な人生を送りたいものだな、という話です。

両立しない方法ならいくらでも知っている

育休中で転職活動中なもので、ハロワ通いをしています。担当のカウンセラーに誘われてハロワ主催の「復職したい女たちの座談会」に参加した時、30代前半くらいの真面目そうな女性が「仕事と家事の両立方法なんかを知りたいと思います」と自己紹介しました。
その場で子どもがいる中働いた経験があったのは私だけだったので、両立方法はありますか? と聞かれたけど、何一つ思い当たりませんでした。だって両立してないから。

仕事はできないことも、やらないことも増えました。子どもがいなかった頃と同じように(終電までとか普通に)仕事しているわけではないし、ましてや子育ての経験を生かして業務改善して役職がつきました! なんてスーパーウーマンじゃないです。
家事はもともとやってなかったけど、それ以上に「仕事があるから〜」を絶好のいいわけにしてやっていません。
なのでメディアやブログでよく取り上げられる、責任ある仕事をしながらも子どもとコミュニケーションバッチリ、でもバタバタせずに夕食は作り置きで一汁三菜、部屋はいつでも綺麗、なんてキラキラバリバリしている、いわゆる「両立」している人のイメージが両立だとしたら、私は両立なんてしていません。
ただ、両立しない方法ならいくらでも知っています。あ、そうです、手抜きってやつです。

でも、おそらく多くの人がそうなのではないかと思います。
「普通」の人は、どうにかこうにか、毎日を過ごしているだけだと思います。だけど、必死です。大人ですから。

「やらない」責任を取るのが苦手な女たち

私たちの「両立」イメージの起源は学校時代の「勉強と部活」にあると推測されます。
進研ゼミの勧誘漫画にはいつも「勉強と部活を両立できる!」とありました。
よほどの進学校、よほどの部活強豪校でない限り、自然と文武両道(勉強と部活)が当たり前な環境だったのではないでしょうか。
「どっちもやって当たり前」がずっと刷り込まれてきました。

どちらもやれ、と言われてやってできたら、先生の言うことを聞いたから。
どちらもやれ、と言われてできなかったら、自分の努力が足りなかったから。
どちらもやれ、と言われてやらなかったら、自分の責任。

多くの女たちは素直で真面目です。
できないわけにはいかないので、やる方を選びます。それもとても努力します。そうすることで自分の道を切り開いていくことができるのですが、やることをずっと続けていると、やらないことが怖くなってきます。

周りを見ると、みんなやり続けているように見えます。
大企業で役職につき、裁量と融通を行使しながら職場を改革し成績を伸ばすけれど、保育園のお迎え時間は守り、掃除だ洗濯だ料理だ整理だ収納だを、高給取りだけど早く帰ってきて子どもの面倒を見てくれる夫とともにこなしているように見えます。
そしてそれは、やり続ければ当たり前のように手に入るように見えます。まるで、毎日お金を貯めればGUCCIのバッグが手に入るかのように。
そうならないのは、努力が足りないからだと思うようになってきます。
やらなかったら、脱落者になると脅されているような気がしてきます。

私もそうでした。
素直に真面目に、あれもこれもと時短術や仕事法や「正しいこと」を試すほど、うまくいかないことが続いて辛くなりました。でもそれは努力が足りないせいだと自分を責めました。
「やらない」を選べなかった。
そしてばーーーーんと限界を迎えました。当時夫に相当な罵詈雑言を吐いた気がするし、家の中は荒れに荒れまくりました。
それは、考えなしに「やる」しか選択してこなかったからです。一見努力し続ける正しい人のように見えるけど、「やらない」責任を避け続けた、ただの優柔不断だったのです。

責任を取ることは、私を大切にすること。私を自由にすること

私はあらゆる時短術や仕事方法を放棄しました。
プラスをやめて、今、自分にあるものからマイナスしていくことにしました。
人の「これをやめてこうしました!」は結局自分にとってはプラスのことなので意味がありません。だってそこに私はいないから。
横目で参考につつ、自分がしんどいことを減らして、譲れないことを守っていくことにしました。

たとえば私の最優先は疲れをとることです。一度精神バランスを崩して以降、疲れが溜まるとネガティブでめんどくさく、あらゆることが手につかなくなります。なので苦手で疲れる炊事は極力省エネで済ませます。クックドゥパルシステム、焼き魚、冷凍食品。ありがとう、ありがとう。食洗機もフル稼働です。
一方友人の楽しみはおいしいごはんを食べること。なので朝早く起きてじっくり夕飯の仕込みをします。それを楽しみに仕事をこなし、家族で食卓を囲みます。そこに誰かが言うような時短術を取り入れて、仕込み時間を削ることは無意味です。

自分が心地いいところを自分で見つけていくしかない。
先生(メディア)の言うことを素直に聞いてきた私には、導いてくれる人がいなくなるのは心細いことでした。でもそうやって自分に向き合っていいところばかりを残していくと、誰かの定義する「両立」ではなく、自分が気持ちいい場所にたどり着くのではないかなと思います。
それは自分を大切にすることで、自分を自由にすることです。

私が好きな歌に、中島みゆき作詞「宙船」があります。
その船を漕いで行け
お前の手で漕いで行け
お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな


TOKIO Sorafune Live YouTube

誰かが眩しくて惨めに感じた時、どこかにわかりやすくて手頃で簡単な答えは落ちていないかと道を失いかけた時、この曲を思い出して、自分のオールを自分で持ち直します。

あとね、持続性はとっても大切。部活はテスト前休みと引退があったけど、人生は自分で無理やり作らないと休みはないし、案外長い旅路のようなので。

まとめ

「やらない」責任をもつのは、やることより勇気がいります。これは女に限らず、男にも言えることです。
特に仕事となると、業務改善といってやることがどんどん増えていきます。現場はどんどん疲弊していき、目的を見失います。
自分たちで増やしすぎっちゃったものを、やらない! 責任はとる! と決断するマネジメントが求められているように思います。
要するに早く帰りたいってことです。

とぐたぐた書いてきましたが、畳んでない洗濯物二日分がリビングに散乱しているので、さすがにこれは片付けようと思います。お気に入りのアイスで、自分の機嫌をとってからね。

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