機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

疲れたアラサーに、心震える「あの頃」を

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(4000字を超えました。イラストいっぱい描いたんでよかったらついでに読んでください)
疲れてますか。疲れてますよね。
仕事も育児も、大変ながら喜びもあり…なんて重々承知だけど、自分だけの楽しい、ワクワクも大事。でもそれってなんだっけ? 気づいたら趣味と呼べるようなものもなくなっていて…
ただ日々を過ごすだけになっていた時に、もう一度心を動かしたのは「あの頃」だった、という話です。

「あれ、またお会いしましたね?」が増えてきた

先日GUでふらふらと服を見ていたら、店内放送で今年ベロア素材が流行っていることを知りました。確かにベロア素材のスカート、重ね着キャミなどが並んでいます。
約12年前、私の大学時代もベロア素材が爆発的に流行しました。ベロア素材のカーディガンやスカートを持っていた記憶があります。ビジュアルコス→ゴスロリから一般のファッションに繋がっていった感が強く、ベロア素材にフリルや黒・紫といったゴシックの要素を組み合わせているものが大半でした。
今はゴスロリ要素はなく、シンプルなマキシ丈など「異素材感」を重視しているようです。

また、今はすっかり定着した感があるアプリでのハンドメイドマーケット。2012年ごろから盛り上がりをみせていたと思いますが、2000年くらいにもクリエイターブームがありました。
パソコンの普及で自分でモノを作ることが以前よりずっと手軽になり、自分ブランド、アーティストフリマが下北を中心に街じゅうに広まっていました。

先日手に取った雑誌に「イームズが好きっ!」という見出しがあった時は、倒れるかと思いました。
11年くらい前に、猫も杓子もイームズチェアなブームがありました。世はヤフーオークション全盛期で、本物だかジェネリックだかわからない代物が高値で取引されていました。全国でイームズ展が開かれ、私もしたり顔で見に行っていました。正直椅子の作りとかよくわかんないのに。

「流行は巡る」というのはよく聞くことですが、最近12年前くらい、大学時代くらいの流行を再び目にすることが多くなってきて、「あれは本当だったんだ…!」と驚いています。

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私が夢中になった「あの頃」

私が思春期を過ごした1994〜2006年頃は「ギャルの時代」と言っても過言ではないでしょう。正統派はアムラー〜ギャルで、プリクラ、ケータイ、写メ。文化はすべてギャル発信で、メディアはこぞってギャルを持ち上げていました。
同時に空前の音楽バブルで、みんなMステとHEY×3、CDTVと音楽番組は欠かさずチェックしていました。

しかし私はうっかり14歳の時に新世紀エヴァンゲリオン(初代テレビ版)を目撃し、Windows95からのインターネット黎明期を体験してしまって、ずいぶんと傾いた中高大学生時代を過ごしました。でも確実にこの時代の空気に影響を受けていました。
20〜18年前の中学時代は、BBSでチャットでICQなインターネット黎明期。HTMLを独学で覚えて自作の小説を公開するという立派な厨二病黒歴史をひた走っていました。プロバイダ代がひーってなって親に怒られたキッズも多かったのでは。ピーガガー。音楽バブルにも乗って、小遣いを貰えばCD屋へフライングゲット。あの頃の曲はだいたい好きだけど、黄金期を迎えたバンド全般が好きです。
18〜15年前の高校時代は王道J-Popも気にしつつ、インディーズを覚えてしたり顔でした。その界隈のクリエイターにも憧れを抱き、下北を遠目に眺めていました(Zipper的な人たちが怖くて近づけなかった)。インターネットもじょじょに浸透して、いろんな人が自分を発信し始めていました。
15〜12年前の大学時代はインターネットが当たり前になり、大学で親元を離れ、価値観が似た人たちと出会ったこともあって、趣味の世界にどっぷりハマりました。アクセサリー作り、トイカメラ、着物、カフェ、ロッキン系、マンガ、読書。

ずっとこの楽しいものたちに囲まれて過ごしていくのだと思っていました。
趣味のことを考えていると、あっという間に時間が過ぎていきます。
これらから離れるなんて、到底考えられないことでした。だってもう、私を創り、私そのものでありましたから。

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就職してしばらくは、東京に戻ってきたこともあってライブに行きやすくなったり、文化の中心地にすぐ行けることもあって、趣味も続きました。しかし仕事の腕を磨くうち、一つ、またひとつと趣味が減っていきました。
単純に興味がなくなったのもあれば、案外学生のころより使えるお金が減っていたり、仕事が忙しかったり仕事がおもしろかったりして、自然と足が遠のいているうち、子どもも生まれ趣味だなんだという余裕はすっかりなくなっていたのです。

暗闇から救い出してくれた「あの頃」

長女を産んで、育児にほとほと疲れて何も感じない時期が続きました。かつて好きだったものにも心動かされなくなっていたし、友人の同情も慰めも叱咤も頭に入ってきません。
生活に削られる日々が泥のようにゆっくりと続き、私のエネルギーはすっかり底をついてしまいました。

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それは1年半くらい続きました。
世界におもしろいものなどないのだと塞ぎ込んでいた私に、ある時パッと光が射しました。
引き裂かれるような歌詞、突き刺さるボーカル、隙のない鍵盤とベースとドラム。
ゲスの極み乙女。です。
以前から知っていたけれど、ちょうど人気知名度うなぎのぼりで各種タイアップが決まりまくっていた彼らの音楽は、私の中学生を掘り起こしました。
そこには夢中になる音、言葉、世界が詰まっていました。世界を知る喜び、そこから自分の世界を創る楽しさ、高揚感が、ばーっと戻ってきました。私の世界には光が戻り、色が戻り、周りの声が耳に入るようになり、また何かを感じられるようになりました。
ゲス。が、音楽が、中学生の私が、今の私を救ってくれたのです。
私はじょじょにエネルギーを取り戻し、音楽を聴き(最近の曲はあまり聞かないけど。またバンドブームがくるといいな!)、友人と遊びに行くようになりました。
(その後みなさんご存知の通りの大スキャンダルで多くの人がゲスの名を知ることとなりますが、それに関してはあまり興味がありません。私が興味あるのは彼らの音楽だけなので。非常に惜しいことをしたなとは思いますが)

またそれから時が経ち、次女も産まれたことで行動範囲はファミリー向けのショッピングセンターなどが中心となりました。といってもファッション、雑貨、インテリアに興味もないので、ぷらぷらと回遊しているだけです。
その日もいつも通りショッピングセンターをぷらぷらしていたのですが、ある店の前で足が止まりました。アクセサリーパーツ屋です。
私がアクセサリー作りにハマっていたころは、浅草橋の問屋街まで行かないと売っていなかった細々としたパーツが、昨今のハンドメイドブームを受けてショッピングセンターでも手軽に買えるようになっていました。
足を踏み入れるとキラキラしたビーズやパール、チェーンに留め具があふれていて、夢中でそれらをつなぎ合わせていたころのワクワクやトキメキが溢れ出てきて、気づいたら幾つかのパーツを買い求めていました。そして帰るなり、数回の引越しでもなんだかんだ捨てられずにいた、アクセサリー用のニッパーを取り出したのです。

あと先日、夫に催促されて本棚の整理をしました。
大学時代に漫画や小説をだいぶ買い込んだけれど、引越しのたびに断腸の思いでブックオフに持って行ったのでこれ以上捨てるものなどないと思っていましたが、知らず知らずステージが変わっていて、必要としなくなった本もありました。自分探しや子育て本が最たるもので、よほど苦しみもがき、どこかに活路を見出そうとしていた痕跡が見て取れました。
そんな整理中、本棚の端にアルバムを見つけました。ちょっといいフィルムコンパクトカメラで撮って、フィルムも焼き方もこだわっていた時期のものです。トイカメラからデジタル一眼(当時すごく重かった)、そしてやっぱりフィルムがいいと買い求めたカメラで、友人との旅行で飲んだくれているところや、友人の家で飲んだくれているところや、海外に行っても飲んだくれている風景が写し出されていました。
あの時の空の色、誰かが笑った横顔、旅先で座ったベンチと花。鮮やかだけどどこか夢のような世界観は、やわらかにボケる背景が作り出しているようでした。
写真には全く興味のない夫が、アルバムをのぞいて「なんかスマホで撮ったのとは違う雰囲気だね」と言いました。
ずっとこだわって写真を撮っていたけど、みんなデジタルカメラを持つようになり、やがてスマホでそれなりのものが手軽に撮れるようになって「私が撮らなくてもいいや」と、気づいたら本棚の奥にカメラも仕舞われていました。
でもアルバムを見たら、今撮らなきゃ、撮りたい、スマホじゃなくて、もっと大切に何かを閉じ込めたい。さすがにもうフィルムは難しいけど、ミラーレスの一眼とかいいかもしれない。
そう思ったらいてもたってもいられず、電気屋でデジカメを手に取っていました。試しに撮ったのは、鼻水を垂らしながらこっちを見て笑った次女です。

純粋に夢中になっていた私が、今の私に教えてくれる

青春を過ぎて「大人」になると、30歳あたりでエネルギーが切れてしまうのではないかと思います。仕事、家事、育児に全振りしていたエネルギーが、「出すだけじゃ足りないよー!」とエマージェンシーを発してくる。
そんな時振り返ると、忘れていた原点が手を振ってくれます。まっすぐな青春の真っ只中で捉えた「好き」や「空気」は、また力を与えてくれます。

その人を創っているもの、青春を過ごした趣味と再会し、「あの時のアレ、よかったよねぇ」を、その人のプラス十数年分をミックスしてまた広める。30歳は仕事で地位を築いているのでそこから発信して作る側に回れるし、今はSNSも身近です。
それを見て懐かしがる人、新しいと興味を持つ若い人、それらが巡り巡って新しいエネルギーになることで、「流行は巡る」のかもしれません。

ただ「好き」を追い求め、純粋に楽しんでいたあの頃の私が、今の私へ送ってくれていた思わぬプレゼントです。

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まとめ

あの頃の私が教えてくれた、私の心が震えること。音楽、ハンドメイド、カメラ。このブログも自作小説の延長にあるのでしょう。
これからどんな趣味が復活してくるのか楽しみです。自分にも、世の中にも。

なんて思っていたら、食器棚からファイヤーキングのマグカップが出てきました。流行った当初は1万以上していたけど、ブームから数年以上経って下北の端で3000円で売られていたのが不憫で買ったものです。
ひょっとしてまたやってくるかしら、ファイヤーキングブーム。そんなシタゴコロ。そしたらヤフオクじゃなくて、今度はメルカリで出すのかな。

新しいと、懐かしいの、エネルギー。

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