機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

わたしは探すものではなく、つくるもの。それが「本当の私」

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「AがBしようとCしたが結局叶わず、Dを手に入れた」というストーリーのひとつの典型がありますが、人生もそういうもんかな、と思う時があります。夫に「根は真面目」と評される私は、それが自分の「もともとの性格」ってやつだと長いこと思っていたのですが、案外本来の自分はちゃらんぽらんでどうしようもないやつ=Aで、それを補うために=B手に入れたのが「根は真面目」=Dなのでは、という70記事目の考察です。

このブログを始めたのは昨年の10月。次女の度重なる入院と発作と後遺症(障害の可能性)に疲弊し、と同時に前職場に嫌気がさして無謀にも育休中に転職を決意しと、考えることが多すぎてパンパンになってしまったので、アウトプットしたいと立ち上げました。私は昔から文章を書くのが好きというか、自分を表現する一環として文章を書いてきたので、書くことに抵抗がありません。むしろしてないと息苦しいような感覚すらあります。と言っても通院や転職活動の合間をぬって、しかもはてブホッテントリ入りしないかなバズらないかな広告収入目指せるPVこないかなとシタゴコロ満載で狙いの記事を書いていたので更新頻度は低かったです。

それが12月に入り次女も落ち着いたので、2018年からは「短くてもいいから平日毎日更新」を自分の目標に掲げて書くことにしました。60%でもアウトプットをくりかえしていれば、100%を目指して何も出さないよりかはマシ理論です。

このころは「平日毎日小さなコラムを更新しています。天声人語代わりにどうぞ」と呼び込んでいましたが、これは「天声人語担当の人は一日じゅうネタと構成を考え続けてかなり疲弊している」という小話からきています。「なんでもいいから毎日完成させて出す」って結構な労力で、私も一日中ブログ(コラム)を考え構成を練り、文章を完成させるという行為にだんだん疲れてきました。天声人語の人は何万人もを唸らせ、多数の受験生をトリッキーにだまくらかさないといけないから(え、そういうコラムじゃないの?)、そのプレッシャーは計り知れないですよね。

気づいたら一日の大変はブログのことを考えたり書いたりしていたので、自由時間はほとんど削られ、新たにできた趣味をやりたくても時間がない。でも平日更新は自分で決めたこと…。しかし平日更新の呪縛が激しすぎて疲弊しまくり。スピードアップや書き貯めも限界。やがてブログが中心になってやらなきゃいけないことが積みあがり始めたのもストレス。ストレス解消に始めた趣味でストレス溜めてどうすんねーーん! 以後、平日更新は諦めました。

書きたいことはね、山ほどあるんです。でも60%にもならない28%くらいでとどまっちゃって、さすがに世間に出せない。でもさ…やっぱりそれって、山ほどあるだけで何もしてないんだよね。あれもこれもやりたい、でもできない、やるつもりだったんです! って言っても、やっぱり何かしら外に出さないと、何もないだけ。言い訳せずに出すところからがスタート、そこから伸ばしてなんぼなんです。

スタートにすら立たずベンチでアップばかりして「今行くから、今考えてる!」って、ダメな人。ずっと「今行くから、今考えてる!」ってしてたから自分は真面目だと思ってたけど、ただスタート位置のずっと前でぐるぐるしてるだけのちゃらんぽらんでした。「だからまた平日更新頑張ります!」って話じゃないんですけども(やっぱりそれは子育て中のキャパ的に難しいし、優先すべきじゃないし)、そうやってやってるように見せかけて何もしてなくて、逃してきたことが今までたくさんあったんだろうなぁ…って残念な気持ちになっちゃったんです。

外に出たものが「その人」なんだよね。「本当の私」なんていない(あれ、おじさんが好きな「結局やるかやらないか理論」になっちゃったぞ)。ただ、それって凡人に厳しい世界。外に出さなきゃ何もないという訳ではなくて=AがBしようとCしたけど叶わずその工程で意識せずに身につけたものが案外自分なんだな=D、って思います。だからそれも素敵なんだよ。(もっと方向をコントロールしたいなら外に出して伸ばさないといけないけど)

「根は真面目」って自分も大切で肯定してあげたい。だけどちょっと先に行きたいので、そこを意識して+αしてアウトプットしていきたいですという、70記事目の決意表明でした。Dが理想の自分だったら=本当の私になったら素敵だよね。

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蛇足。A→D理論はうめ先生の講義から。タイトルはタイトルメーカーで1発目に出たのをアレンジしました。 このアルバム好きだったなー。

本当の私

本当の私