機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

名字の種明かしー肥大したアイデンティティと生きていく

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保育園の保護者グループができた時からLINEの名前表示を「夫の姓 私の姓 名前」にしているのですが、それを見ると未だに一瞬のアイデンティティクライシスに襲われます。世の中には婚約した途端Facebookの名前を夫の姓に変える人もいるようですが、私は「旧」姓とは言いたくないくらいには、結婚以前の名字に特別な思い入れがあるようです。

私の生まれ持った名字は大友(仮)。暮らしていてそんなに遭遇しないけど、有名人にちょっといる。名前が汎用的なのと呼びやすさから、ずっと名字で呼ばれてきました。

一方夫の名字は渡辺(仮)。名字に愛着を持ってきた私は、日本人名字トップ10入り間違いなし名字入りの運命にクラっとしました。大友(仮)にしないかね、そっちの方が名前との組み合わせかっこよくない? なにも婿入するわけじゃない、このチェック欄は「妻の姓を名乗る」と言っているだけだよ、と割とギリギリまで囁き続けましたが、「俺はいいけどばぁちゃんが」との言葉に、私は戸籍としての大友(仮)を失いました。

とは言っても仕事は大友(仮)で続けていたし、友人はみな大友(仮)で呼びます。長女が生まれてからも実際のところそんなに渡辺(仮)を名乗ることは少なく、渡辺(仮)に違和感を持ちつつ、「ペンネームが増えたな」程度に思っていました。

知人に旧姓・新姓・仕事ネーム・ブログネームを持つ人がいて、巧みに使い分けてたので「いろんな顔があるというのはいいな、便利だな」と、渡辺(仮)をペンネームに仕立てようとしましたが、いかんせん国民的名字すぎて愛着がそこまでわきません。

それが一転したのが次女が入院してから。もう、病院・薬局・役所ありとあらゆる場所で書類ラッシュ。増えゆく渡辺・渡辺・渡辺の痕跡。そして私は「大友さんだった渡辺さん」「渡辺だけど大友が本体の人」ではなくすっかり「渡辺次女ちゃんのママ」となり、あらゆる施設で「渡辺さん」と呼ばれて「はい」と返事をするようになりました。蛇足だけど本当に渡辺って人多いのね。漢字はさておき、病院に行くと3回は腰を浮かせることになります。佐藤はもっとすごいんだろうなぁ。高校の時はクラスに佐藤が三人いたし。

でもどうにか争ってたんですね。メールには「渡辺(大友)名前」と書いたり、手紙を出す時は「渡辺(旧姓 大友)」と添えたり。「旧じゃねーよ、こっちが本体だよ、でも常識人だから新姓とか旧姓とか言ってやるよ」と悪態をつきながら書いていました。

そうした日々を過ごしていたけれど、転職先では渡辺と呼ばれることが決まった時、渡辺(仮)の自分が大友(仮)の自分に乗ったられたのを感じました。仕事で大友(仮)を失うーーこのショックたるや。アイデンティティの崩壊! 私が積み上げてきたものを根こそぎ持ってかれた絶望感!

残る大友(仮)は友人関係くらいです。私のほとんどは渡辺(仮)になってしまいました。どんどん「私」が小さくなっていく、いつかなくなる危機感ーー。誰か覚えてて「私」を呼んで、忘れないでいてほしい。

この先新しい仮面で振舞っていく、新しい自分。きっといつかそれが「私」になるのでしょう。生まれてからの自分も大切にしたいし、これから育っていく私も楽しめたらいいな。でもできたら名字ランキングもうちょっと低めの名字がよかった…汎用名字と汎用名前で、被りの激しさたるや。

当たり前のことですが、名字が変わっても私は私。そして「私が小さくなる」なんて、そんなおこがましいこと言えないくらい、私は自己顕示欲と承認欲求にまみれた女でありました。小さくなるどころか、加えて渡辺(仮)の自分がくっついて、結局自我が倍ですよ。

肥大したアイデンティティで、生きていきます。