機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

いつだって、最善のことしかできないから

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次女がいわゆる障害児になりました。
なのでこのブログはこれから療育ブログになります。

ということではなく。
あらゆること、あらゆる時、最善のことしかできないよなぁということと、次女かわいい、という話です。

私の知らない、療育の世界

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詳しい経緯や病名は伏せますが、次女はこの夏頃から入退院を繰り返していました。
ちょっとずつ病状は違ったりするのですが、その中で特に重い病気の後遺症? というのかな、発達がちょっと遅れ気味で、療育を勧められました。
遅れ気味と言っても8ヶ月のこの時期で遅れているのは、病気の後遺症ではないのかもしれません。もともとゆっくり気味でだったのかもしれず、放っておいてもできるようになるかもしれませんが、原因と考えられることがあるので、だったら今からできる限りの支援をしていこうという方針です。
現在「療育の方向で」と話が出ただけで、どの程度重度なのか、通常の生活をおくれるようになるのか、どのくらいの期間どんなことをするのか全くの未知数ではあります。

いつだって、ここからできることを

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病院の帰り道、次女に障害があるとはどういうことか、考えました。
生活をおくる上で困難があるということで、それを支援していく。
それってつまり、今まで通りでいいってことだよな、としかなりませんでした。
あの時もっと早く救急車を呼んでおけばとか、ああしておけばとか。これからどうしようとか(はちょっと思うけど)、お先真っ暗だとか。
そういったことは浮かびませんでした。
事態が本当に刻一刻と変わるので、その度ごとに判断を求められます。
その時に次女のことを考えて、考えるほど、今ここの次女にすればいいことをするだけ。集中しているから迷いはあまりありません。次女にできることを精一杯するだけです。
もちろん長女にもね。
でもそれって、そうして育ててきたので、そこにただ「療育」だの「障害」だのがくっついただけのような気がするんです。

これから打ち寄せてくる波はひょっとしたらものすごい波なのかもしれません。
それでも手を離さず、一緒に泳ぐ。打ちひしがれても、大きな喜びに包まれても、ただただ手をとって泳ぐ。いつか一人で泳ぎ出せる時まで、そこでできることをやる。いまできることをして、泣き、笑う。それが最善。
いつだって、最善のことしかできないんです

次女ってなんだかすごいんです

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電車で向かいに座ったおばあちゃんと目が合うと、にっこりする次女。
エレベーターで手を振られて、にこにこする次女。
保育園に迎えに行くと、長女が「次女ちゃんかわいい、次女ちゃんかわいい」とアホみたいにまとわりついてきます。
何人かの子どもたちが「赤ちゃん見せて」「赤ちゃんかわいい」と寄ってきます。
家に着いてからも、ゴロゴロDVDを見ながら時々思い出したかのように「次女ちゃんかわいいねぇ」と長女。

次女は本当によく笑います。人見知りしない、とっても愛想がいい。
笑うと口元にかわいいえくぼが出ます。
長女は次女が大好きです。妊娠中は何一つ興味を示さなかったのに、病院で見た途端「赤ちゃんみせて」「かわいい」「さわる」で、毎日毎日「かわいい、かわいい」と言っています。危害を加えるような赤ちゃん返りはありません。

長女を産んだ時「なんか強そう」と思って、なんか強そうに育ったけど、次女を産んだ時は「なんだかすごいのきた気がする」と思いました。
次女はきっと、私たちにすごいのを運んできてくれたのでしょう。

周りを幸せにするために、まずは自分がご機嫌でいられるようにする

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とは言っても、次女に全部を集中するわけではありません。
母親はすべてを子ども(と夫)にささげるべし! なんて呪いがありますが、私は望みもしないのにその毒に自らやられにいったので、それがどれだけ馬鹿なことかよくわかります。
自分がご機嫌じゃないと周りをハッピーになんてできないよ!
自分の機嫌だけは絶対に捨てないで。
手に取ったら心が躍るものを集めて、ワクワクする音楽を聴いて、おいしいものを食べて、気の合う友人と話して、心にいっぱいの栄養を与えて、機嫌良くいると、自然と周りを幸せにできる自分になれる。
なのでこのブログも機嫌をとる一環として、「機嫌の取りかた」なんて変なタイトルにしました。という小話でした。

まとめ

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なんてカッコよく書いておいて、数ヶ月後には音を上げたブログを書いているかもしれません。
本当に1週間後も1日後もよくわからない生活をしているので、その時の精一杯しかできなくて、後から考えてもそれが最善でしかないのです。
そう思ってないとね、やっていけないんです。自分の機嫌をとりながら。

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