機嫌の取りかた

自分の機嫌を取ることで世界を維持する。8歳と5歳の娘と夫と、東京の端で暮らす。

これからの教育をワンランクアップさせる考え方

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私たちは学校で「知識を体系的に学ぶ、その学びを通して考える方法を知る」ことをしてきましたが、AIの登場でこれからは「方法を知り、ツールを活用して仲間とAIで協働する」のかもしれないなぁとモヤモヤ考えています。

前者は知識・暗記中心で「詰め込み型教育」なんて批判されてきました。確かに知識をインプットするのに時間を割かれて、「考える方法を知る」までたどり着けるのは一部の頭のいい子だけだったりします。

でも今知識というか情報はいつでも取り出せるようになった、むしろ知識の暗記を目的とするのは記憶容量がもったいない。必要な魚を保管しておく(その工程で獲り方を自然と身につける)時間や場所があるなら、必要な時に釣れる方法を先に知って、獲りながら方法の改善をしたり新たな方法を見出す(クリエイティブ)の方が重要であるーーというのが大方の認識です。

が、きっと教育がここに至るのはすーーーごい大変なんだろうなぁ。教育もそうだし、すでに教育し終えちゃった人の教育も大変。だって今までの知識みーんな必要ないって言われたら、「俺の青春どうなるんだよ! カエセ!」ってなるよね。新しい方法論を持った人を見下したりね(ゆとりバッシングひどすぎ)。でも抗議しようとしたときに方法論を知らないがゆえに抗議の矛先を間違える。暗記に手いっぱいだったからね。

センター試験が2020年に新テストになって、考える・記述する分野ができるとか。楽しそーー! こういうことやりたかったんですけど! というか高校に入った時点で知識を深めていくのは無意味なのではないかと思ってました。いや、私の場合は厨二病こじらせただけだけど。

fumisiobox.hatenablog.jp 

「窓際のトットちゃん」を読んだ時、トットちゃんが通うトモエ学園がとっても羨ましかった。ああいう風に、考えることに主眼を置いて学んだ方が楽しいのに、私もトモエ学園に通いたいとページをめくっていました。あれって戦前なんだよね。本当にやっと、環境も含めた時代が整ってきたのかな、ゆとりは早すぎたのかな。「ゆとり」って名前がいけなかったんだろうな。

時代はどんどん変わっていく。娘たちが小学校に入る頃、中学高校と過ごしていく頃には、教育もガラッと変わっている。それを一緒に伴走できるのは楽しいかもしれない。方法論も知りたいし、一緒に考えたい。そうすることで、娘たちが何を考えているのか、どういう人間なのか知りたい。同時に、同じ人間として私のことも知ってほしい。そうして互いを知る中で、深い関係やクリエイティブに繋がる(協働できる)といい。

新しいカリキュラムが始まったら、社会人向けの学び直し塾ができないかな。絶対通うのに!